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もりおかマイスター

【現代の名工】藤尾 正彦(ふじお まさひこ)さん

2005年度厚生労働大臣賞 南部杜氏

酒造り51年。若くして南部杜氏となった酒造りマイスター

数々の表彰状をバックに笑顔の素敵な藤尾さん
ふわりと酒の香りが漂う、盛岡市大慈寺町にある酒蔵「あさ開」を訪ねました。2005年「現代の名工」として、日本酒の世界では最年少の61歳で表彰された藤尾さん。2008年には「黄綬褒章」を受賞。また、平成に入ってから、全国新酒鑑評会では19回の金賞を受賞するなど、数々の賞に輝く藤尾さんですが、杜氏としてのスタートは意外なものでした。

冬の農閑期には、農家の男手はみんな酒造りへ

杜氏になったきっかけを教えてください。

平成26年度全国新酒鑑評会で金賞に輝いたお酒
平成26年度全国新酒鑑評会で金賞に輝いたお酒
私は紫波の農家の長男なんです。農業高校を卒業すると、当たり前のように実家の農家を手伝い始めました。その頃は機械なんてないので、田植えも手植え。一カ月ほどかけて3haの田んぼに田植えをしたんですよ。休みもなく、早朝から夜中まで働きました。

それなのに、小遣いももらえない。盆と正月に、ほんの少しもらえるだけ。紫波や石鳥谷、矢巾などの農家で働く男たちは、冬の農閑期になると酒造りの職人として、地方に出稼ぎに行っていたんです。私の父も、叔父も、岩手県内で杜氏として酒造りをしていました。

杜氏の役割は、酒造りだけではないんですよ。酒は何人かのチームで造ります。だから、人足を集めるのも杜氏の仕事で、自分のチームをつくって依頼された先で酒造りをするわけです。
この酒造りの出稼ぎはけっこうな稼ぎになったんです。私も叔父が千葉で杜氏を務めることになったからと声をかけられ、5~6人のチームの1人として連れて行かれました。

酒造りは初めてで、下っ端として仕事をしましたが、日給500円、一カ月に1万5千円ほどもらえたんです。当時はサラリーマンの一般的な月給が1万円ほどでしたから、かなりの額になるわけです。農家を手伝っても、小遣いすらもらえなかった私は、精一杯、酒造りも務めたんです。

酒造り職人への道は、実家と家族を大切にしながら

それからもずっと冬は出稼ぎですか?

いいえ、千葉で2年(2冬)務めたあとは、両親がやっぱり地元に居てほしいのと、身内がいない場所で酒造りを学べるようにと、あさ開に頼んで雇ってもらったんです。

ですが、その翌年に、千葉の酒蔵で頭を務めていた叔父の弟から声がかかりました。しかも、今度は三役として来ないか、と言うんです。下っ端として働くより、もっと色々な経験をしてみたかった私は、三役「麹師」として、今度は山梨へ。そこで3年(3冬)、麹師として本当に様々な勉強をさせていただきました。

でも、出稼ぎは結婚を機会にやめたんです。そこで今度は、上ノ橋にある瑞鳳酒造にお世話になりました。父が入院し大黒柱となった私は、農家を続けながら稼げる場所を選びました。

3年後には「麹師」となり、手作り100%の麹造りに取り組みました。一部、機械で造る酒蔵もありましたから、本当にいい勉強になったんです。その3年後、なんとあさ開と合併。「あさ開瑞鳳」として酒造りがスタートしました。

この頃、農業は機械化され、夏でも余裕が出てきました。妻からは「農家は私に任せて年間で働きに出たら」とすすめられ、35歳の時、サラリーマンになる決意をしたんです。よその会社に内定をもらい、酒造りの仕事を辞めたいと申し出た所、社長に「副杜氏として常勤で働かないか」と誘っていただきました。内定を取り消してもらい、副杜氏として酒造りを生業とすることになったんです。

若くして誕生した南部杜氏

南部杜氏になったのはいつ頃ですか?

現代の名工「藤尾」と名前のついたお酒もあります
現代の名工「藤尾」と名前のついたお酒もあります
副杜氏として社員になってから2年後でした。37歳の若い杜氏ですから「酒は造れるのか」と言われたこともあります。平成に入る頃、酒の全国新酒鑑評会での成績が注目され始め、岩手にはロクな杜氏が居ないとの噂を聞いたとき、これじゃダメだと思いました。全国に認められる酒を造って、見返してやりたかったのです。
平成3年に初めて金賞を受賞。全国的に認められたことで、共に酒造りをするメンバーも認めてくれ、私の酒造りに反発したり討論した人も、みんながチームとなって酒造りができるようになったのです。その後、19回金賞受賞という全国最多の記録も打ち立てることができました。
岩手県内でも最新の機器を導入している酒蔵です
何トンもの蒸された米が次々に出てきます

酒造りで大切なのはチームワーク

酒造りで大切なことを教えてください。

ここ、大慈寺町の湧き水は軟水で、繊細で柔らかな、喉越しの良い酒になります。素材の良さも大切なのですが、お酒は1人では造れません。ただの仲良しグループではダメなんですね。杜氏の目指す酒、つまり考えを皆が理解し、集結して、良い酒を造り上げていくんです。人は慣れてくると手を抜きます。手抜きをしないこと、基本をきっちりとやることが、良い酒を造ります。

これから挑戦してみたいことはありますか?

岩手の特産品と日本酒とのコラボレーションや、ノンアルコール飲料の開発もしているんです。日本酒造りはもちろんですが、甘酒をベースにした砂糖もアルコール分もゼロの梅酒は、お酒が苦手な方や飲めない方におすすめ。後継者を育てながら、新しいジャンルにも挑戦していきます。

後継者への指導も多くなったという藤尾さんですが、新しい酒や飲料を造り出そうと語ってくださる目はいきいきと輝いて、現役杜氏としての活躍が期待されます。南部杜氏の手によって誕生する新しいお酒、楽しみですね。
【個人データ】
藤尾 正彦(ふじお まさひこ)さん
業種/南部杜氏
所属/株式会社あさ開 参事・杜氏
住所/岩手県盛岡市大慈寺町10-34
電話/019-652-3111
FAX/019-624-4303
HP/http://www.asabiraki-net.jp/
  • 【現代の名工】藤尾 正彦(ふじお まさひこ)さん

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    2005年度厚生労働大臣賞 南部杜氏